戦争中、日本のクリスチャンはどのような行動をとっていたと思いますか?神様に祈り、一刻も早くこの戦争が終わるようにと願っていたのでしょうか?ほかの国々の人を傷つけたことに泣きながら悔い改めをしていたのでしょうか?
そのような人も多くいたかもしれません。しかし一方で、戦争時の国の政策に積極的に加担していた教会もありました。
今回は日本の教会がほかのアジアの国々の教会に対して犯した戦争中の罪について取り上げてみました。(以下『』内の言葉は1995年4月27日 日本福音キリスト教会連合第2回全国総会の資料より引用した文章です。)
『私たち日本の教会は、同じキリストのからだに属するアジアの教会にも、偶像礼拝を強要する罪を犯しました。
日本は侵略した各植民地・占領地に神社・神宮を建て、人々に神社参拝を強要しました。日本の教会はこの国家政策に積極的に協力しました。なかでも、1938年には日本の教会の代表者が特高警察と共に朝鮮の平壌(ピョンヤン)の教会を訪れ、神社参拝を朝鮮の教会の代表者に強要しました。朝鮮では、多くのキリスト者が神社参拝を拒否し、投獄され、殉教しました。』当時の教会は唯一の神への信仰告白を曖昧にすることで、神社参拝をしてもよいことにし、朝鮮のクリスチャンにも半ば強制するように説得して神社参拝を認めさせました。この神社参拝を拒否したことで、具体的にどのくらいの人が日本から迫害を受けたかというと、1939年では約2000人の牧師と信徒が投獄され、20余りの教会が閉鎖され、50人の牧師が獄死しました。太平洋戦争に入ってからは、さらに3000人の牧師、信徒が投獄され、うち50人余りが獄死、200余りの教会が閉鎖されました。
『さらに、私たち日本の教会は、日本が国家としてアジアの国々を侵略し、多くの人々に悲惨と苦難を与えた時に、それに反対せず、かえって、海外の占領地域では国家政策に追随した伝道活動を行い』とあり、伝道団を神の栄光のためではなく、「お国のため」に用いていました。具体的には1919年には南洋伝道団、1933年には満州伝道会、1940年には東亜伝道会などが設立されましたが、1938年文部省から「中国において国策に従順な人を信徒として選び、利用するように」との通達が届き、これら伝道団は軍の指揮に従うことが決められていました。
さらに極め付けには『1944年復活節の日には、私たち日本の教会は「大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」を送り、この戦争こそアジア諸民族の解放をめざすものであり、神の聖なる意志であると説きました。』「大東亜共栄圏」はほとんどの人が聞いたことのある言葉だとは思いますが、天皇の威光の下に、日本を盟主とした勢力圏を確立しようとする企てを表す言葉です。大東亜共栄圏という言葉を使っていたことからも、またその内容からも、この当時、日本のクリスチャンにとっての神は天皇になっていたことが分かります。このときのクリスチャンは真理に対して盲目になり、自己中心的で隣人に対しての愛もなくなっていました。
では私たちはこの当時の日本のクリスチャンをただ責めればよいのでしょうか?そうではありません。「私たちの先祖は罪を犯しました。彼らはもういません。彼らの咎を私たちが背負いました。」(哀歌5:7)朝鮮のクリスチャンに神社参拝を強要した罪も、伝道団を軍のために用いた罪も、他のアジアの国々に対する非情な扱いも、私たちの先祖の罪であり、私たちの罪でもあるのです。単に日本人としてだけでなく、日本に生きるクリスチャンとして私たちは何を思い、行動していく必要があるのでしょうか。
柳川愛実
Q1.現代を生きる私たちには何が出来るでしょうか。
Q2.それに対してどのように応答していきますか。
引用:日本福音キリスト教会連合第2回全国総会資料『第二次大戦における日本教会の罪責に関する私たちの悔い改め-戦後50年を迎えて-』
キリスト者学生が日本に生きるキリスト者、そしてアジアに生きるキリスト者として、このブログを通してさらに学び、分かち合うためのブログ