さて、今回は93EARCに引き続いて97NCについて紹介していきたいと思います。NCとはNational Confarence、全国大会の略です。と言うことで97NCとは1997年に開かれた全国大会ということです。大体3年ごとに開かれ、今年度は10NCが開かれる予定となっています。今から10数年前の97NCにおいてある問題が浮上してきました。NC3ヶ月前に会場を借りることになっていた青年の家から「朝の集い」に参加してくださいと連絡があったのでした。
以下は当時の全協とNC準備委員が参加予定者に送った文章です。
『昨年の暮れになって、全国集会の会場として予定していた青年の家より連絡があり、当初の契約ではしなくても良いことになっていた朝の集いの「日の丸」掲揚・「君が代」唱和への参加を求められました。戦前、いつの間にか世の流れに押し流され、妥協してしまった日本の歴史を知り、これを繰り返すまいと決意した私たちKGKとしては、この問題を見過ごすことはできず1月に入ってから直接交渉しに赴きました。すると契約当時の係員は転勤となり、約束は曖昧になっていました。この交渉は平行線に終わり、最終的に青年の家が提示した条件は、朝の集いに代表者4名がKGKから出席することで妥協するというもので、KGKもこれを承認しました。
しかし1月末にもたれた全国主事会でこのことに疑問が投げかけられました。過去に国立の施設で行われた全国集会でこうした問題を黙認してきたことに比べれば進歩はあったとは言えるが、4名出すことはどのような理由があろうとも結局は妥協に過ぎず、それはこの数年間、KGKが取り組み行ってきたことに逆行し、それを自ら覆すものではないのか、といった意見で、更に学びと協議を進めた結果、今回出席を認めたことは主事会の判断ミスであり、これから青年の家ではなく他の会場を探して全国集会を開くことを学生に提案してみよう、ということになりました。・・・(中略)・・・ 主事会からの提案を受けて、学生の側では全国協議委員と全国集会準備委員のそれぞれの代表が2月4日、東京で会議を開き、その場で「日の丸」・「君が代」の持つ問題点を学び整理しました。・・・(中略)・・・ その後の議論で、・・・(中略)・・・人数が減っても代表を出すならばKGKが「日の丸」・「君が代」を結果的に認めたことになること、93年のIFES東アジア地区大会や文書「私たちとアジア」(※1)で、日本の社会が変わるよう言葉に表すだけでなく、具体的に行動しようと私たちが表明してきたことを実践に移すこと、等を理由に、その決断の重さゆえに評決は容易ではなかったのですが、4人の代表を送り出すことに賛成する人が誰もいなかったことから、後者を選び、別の会場を探すことになりました。』 (※1『第一回、93EARC』の時の声明文について出された文章)
その後、新しい場所を見つけ、その場所を使うことを決定し、準備を進めていくのと同時並行でその施設とも交渉を続けていく中で、朝の集いに参加しなくて良いと言うことが言われてきました。
このような経緯を経て青年の家を用いることができるようになりました。私はここで大きなことは、当時のKGKが青年の家を使えるようになったと言うこともさながら、それ以上に大きなことは、93EARCではEARCに参加した人という小さな枠の人たちが考えていたそのことを、今度は97NCと言う日本のKGKの多くの人が『日の丸・君が代』の問題について触れ、身を持ってこの問題に直面したと言うことだと思います。
このような問題が起こる以前、私たちKGKは夏期学校や春期学校で何気なく『朝の集い』をしていたということもあったそうです。しかし、いろいろな経緯を通して自分たちの問題に直面し、学び、考え、そして行動してきました。
今回は97NCを通して『日の丸・君が代』を考えるようになったと言う簡単な流れを説明しました。またその中で自分たちの歴史を通じて学ばなくてはならないことがあるのではないか、知る必要性があるのではないか、と言うことを私は思います。
飯沼 偲
引用・参考資料:『信教の自由を守る「朝の集い」記録集』